熊本県多良木町に遊びに行こう!
 

多良木町の青蓮寺阿弥陀堂

重要文化財のお寺

ここ多良木町には先ほど話した太田家住宅以外にも国が指定している重要文化財が存在しています。これだけで専門家からしたら十分にこの街に来るだけの価値はあるでしょう。学術的な立場ではなくそういうものを見ているのが好きという趣味の範囲で好んでいる人も中にはわざわざ遠路はるばる訪れると言うこともあるでしょう。それに観光旅行ということになると、絶対にこういったところには決まって観光スポットの一つとして立ち寄っているという印象があります。日本人だからでしょうか、ということを踏まえて次に『青蓮寺阿弥陀堂』というお寺について紹介していきたいと思います。こちらの建立は鎌倉時代の永仁3年、上相良三代頼宗が初代頼景の菩薩を弔うために創建された上相良家の菩薩寺となっています。

建物の広さとしては、まず御堂は広さ五間四面の茅葺で軒高はおよそ4.5m、軒より棟までの高さとしては約7.6mとなっています。圏内最大の規模を誇っていまして、外観は一見極めて素朴となっていますが鎌倉時代の壮重・雄健の感をよく表現できています。

特にこのお寺に安置されている阿弥陀仏に関しては、飛騨の工匠の造作と伝えられており、現在も堂前に通称『飛騨』という地名が残っています。こういったこともあるため、国からは歴史的価値が高いとして国から重要建築物として認定されているのです。しかし建物全体としては老朽化が信仰していたこともあったため、平成6年から3ヵ年にわたって大改修が行なわれ、その結果として当時の姿に復元することが出来たのだった。こうしたこともあって、この青蓮寺阿弥陀堂は圏内最大の鎌倉様式の木造建築として有名となっています。

良いですね、こういう日本的なものが古くから残されている街というのは個人的にとても興味があります。とは言ってもやはりこういうものに興味・関心を持つ年代といえばどうしても中高年時代の人が多く持つでしょう。どうしても学生時分が盛んな青少年達はこういった寺関係の観光というものはあまり関心を引くようなものではないですからね。

多良木町に行ってみる?

私が中学生時代の頃の話です、当時修学旅行で観光名所である京都に修学旅行に向かいました。その最終日、私達は京都の場所は覚えていないのですがやはりお寺に観光に向かいました。歴史的価値も高く、時代を感じさせる重要な仏像や堂の中を見る企画だったのですが、その時はみんな子供だったのです。すたすたと本来見て何か感想を持たなければならないところを全く見ることもなく、軽やかに施設内を闊歩していました。さしずめ蟻の軍団行進といったところですか、まさしく出口という一点に向かって歩いていきました。普通に歩いて観光していると考えても、最低でも30分くらいはかかるはずが、僅か全体で5分足らずで見学が終了してしまいました。当然ながら、そんな無礼極まりない観光の仕方に教員全員がぶち切れて説教をしてきました。当然ですね、そんなことで時間があまりに余ってしまうという事態になってしまったのですから、怒るのも当然です。この頃の私には余りお金というものに対して無頓着なところがあったので、自分のしている行為がせっかく高いお金を払ってきた修学旅行のお金をどぶに捨ててしまったということに他ならないという事実を把握したときには、何となく罪悪感に襲われてしまいました。

昔こそ笑える思い出ですが、今となって深く考えてみるとどうしてあそこでじっくりと見学しなかったのだろうかと後悔しています。行こうと思えばいつでもいける距離と時間ではありますが、中々機会を作るということで難しいので悲しいなぁと思いつつ後悔しています。子供って自分の興味の対象外となっていることに無関心であるというのは、極限極まりない罪だと今でこそそう思えます。

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お寺が建立した経緯

この青蓮寺阿弥陀堂が建立することになったきっかけとしては、やはり多良木と相良家による関係から来ているのです。相良家の伝承によると、鎌倉時代初期の建久4年、遠江の国にある相良壮の武士であった相良頼景が多良木に下向したことで、その5年後には頼景の長男の長頼が人吉層に下校したことによって、多良木相良と人吉相良と呼ばれることになる二つの相良家が出来たといわれているのです。元々ここ人吉藩にあった相良家とは別の、現在の静岡県西部から遠路はるばるこの人吉藩に移動したことであらたな相良家が誕生することになったというのです。元々いた静岡から熊本に来たというのは何か理由があったのかもしれないが、今となってはそこまで詳しいことはわかっていないので、この辺りを知りたい人は研究するべきでしょう。

話を戻しましょう、当然ながら同名の一族が同じ藩にいる、なお且つ片方は別のところから来た新参者ということでこの両家は南北朝時代には数度にわたって抗争を繰り広げていました。室町時代中ごろの文安5年になると相良一族の永富長続が人吉相良を継いだことで、多良木相良を滅ぼして相良氏を一統として球磨群をまとめ始めました。

人吉相良はその後、戦国時代になると同時に芦北群や八代群に進出したことによって、人吉城と八代城を本拠地として肥後国南半分を領地とする大名に成長することになりました。その後関ヶ原合戦を生き残ることに成功した相良氏は、明治維新まで球磨軍の領主として存続することとになりました。この人吉相良氏はその後多良木の領主として674年という長い年月を経験することになる。同じ地域に領主として存続した数少ない武家としての一例となっています。

歴史的価値が高く、お寺好きな人にとっては一度は見ておきたい観光名所とも行っても良いこちらの青蓮寺阿弥陀堂、一度行って見たいですね。

熊本といえば…
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