熊本県多良木町に遊びに行こう!
 

多良木町の文化遺産

伝統芸能を伝えていく

人口の減少といった最大の問題を抱えている多良木町ですが、それをただ黙っているわけではありません。多良木町という町が確かに存在しているということを後世に伝えるということで様々な取り組みが行なわれています。少しでも人口の減少を今後回避して街を活気に包んでいけるかということが最大の課題といっても良いと思います。ただ手を拱いていては最後に待っているのは街自体の消滅も容易にありえるからです。最終的には地図そのものから消えるなんてことになれば、そこで生まれ育った人にとっては悲しいという言葉では表現できないほどの憤りを感じてしまうでしょう。だからこそ日本全国、多良木町のことを知らない人たちに少しでも街のことを知ってもらおうとして様々な努力や催し事が行なわれています。

催しものとは少し違うのかもしれませんが、人が少なくなってしまうことで一番影響を受けるのが伝統という文化でしょう。文化とは伝えていくものであるため、その伝えていく人が途絶えてしまうと必然的に文化そのものを消滅を意味します。その後文化復活を目指して活動している人も出てくるかもしれませんが、その文化は既に一度絶たれてしまったものであるため、旧来の年月を感じさせるような貫禄までは表現できないでしょう。悲しいことですが、文化そのものを完全復活させるというのは簡単に成し得ることは不可能です。それが出来れば苦労に越したことはないんですけどね、これまでに誰にも知られることなく消滅してしまった地元ならではの文化というものがどこかで消滅しているかもしれないですね。そうなるとそれまでに積み上げていたものを取り戻すということは不可能になります。伝統や文化を守るということはそれを引き継いで後世に伝えていくことを良しと考えている人が一人でも多くいなくてはならないでしょう。そしてそんな多良木町でも今後人口が減っていくものならそんな伝統が廃れてしまう危険性も十分にあるわけです。

さて、そんな多良木町は少しでも自分達の街にある伝統芸能や地元のことを知ってもらおうということで、動画サイト『Youtube』で街の紹介などを行なっている動画をあげています。正直再生回数こそ微々たるモノとなっているので、そこまで多くの人に見られているというモノではないということは明らかでしょう。手段としてはありかもしれませんが、個人的に思うことはやはり動画そのものをあちこちに拡散することを考えないことには多良木町そのものを知ってもらうということは不可能でしょう。街を守るために行なう方法として今後も動画をあげていけば、興味や関心を抱いてくれる人がもしかしたら出てくるかもしれないので、諦めないで貰いたいところであります。

ここまでで語っている多良木町の伝統というものに触れてみましょう。主に多良木町に伝わっている伝統芸能は三つあります。

多良木町に行ってみる?

臼太鼓踊り

人吉・球磨地域にて古くから伝えられている臼太鼓踊りというものがあります。そしてそんな踊りをここ多良木町でも伝統として行なわれています。この臼太鼓踊りは元々十五や踊りが風流化したものが起源となっていると考えられています。

元々は江戸時代の人吉藩主が、武道奨励・士気鼓舞のため踊られていたといわれており、内容についても源平合戦などを表現しているといわれています。そしてこの踊りは代々その地域の長男のみに口伝されるという風習我があり、そうすることで他の組に技を盗まれないようにし、稽古の際には見張り番を立てていたとも言われているのです。まさしく日本特有の伝統芸能の特徴とも言えるでしょうか、地域の長男だけに口伝されるというだけで、いかに世襲的な要素がむき出しなっているのかもよく分かりますね。閉鎖的な踊りではありますが、そんな風習を守っている人もいますが中には時代の流れに逆らうことが出来ないで形だけでも残していかなくてはならないと考えている人もいるでしょう。ですが現在でも多良木町だけではなくその他の地域においてもこの踊りはお祭などで親しまれています。

上槻木太鼓踊り

次に紹介する伝統芸能は、背中に『からいもん』という矢旗を背負って踊る『上槻木太鼓踊り』です。もともとの起源としては念仏踊りを期限としており、その後は十五夜行事として踊り伝えられていました。本来は宮崎から伝えられた芸能ということで熊本特有の文化とは言えないですが、伝えられたことをきっかけにして明治のころから親しまれて踊られるようになりました。

棒踊り

次にご紹介するのは、多良木町は大久保地区で継承されている『棒踊り』について話をしていきましょう。こちらの棒踊りの特徴としてはとにかく全体的な芸能としての完成度が丁寧に仕上がっているということです。唄に関しても上品な仕上がりとなっているのが特徴でしょう。棒踊り自体はくま地方に伝えられていますが、今回取り上げた多良木町大久保地区においては球磨地方の中でも特に勇壮な仕上がりとして有名なのです。

その仕上がりというものは3列縦隊で踊り、両側が6尺棒を持って、真ん中が鎌を持って踊りを行なっていくのです。この踊りは江戸時代後期から明治初めごろの間に、八代市高田の踊りを受け継いでいるといわれています。

話題の情報

球磨拳

最後にご紹介するのは、ジャンケンを元にした球磨地方に伝わる『球磨拳』というものです。こちらの球磨拳に関しても歴史は古く、その起源としては江戸時代にまで遡ります。その頃の人吉藩の下級武士たちによって、主に避けの席の場で遊ぶためのものというのはそもそもの始まりでした。その後この球磨拳は地方全体に広がっていくことになり、現在でも地元では愛されている遊びとして小さい子に伝えられています。もちろんですが、関東出身の人間からすれば存在自体認識しているところの問題ではないので、そもそもこんな球磨拳なるものがあることも知りませんでした。日本全国様々な遊びが存在していることは何となく分かっていますが、さすがにこのようなものまであるというのを知るとなればその地元出身の人でなければ知る機会もないでしょう。

この球磨拳を教えられることで江戸時代の拳遊びを伝えるという歴史を感じさせる伝統的遊びとして広められているのです。

熊本といえば…
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